本日は「不動産登記の原理」レビュー第2回目です。
【司法書士業務】「不動産登記の原理」② 不動産登記の真のあるべき姿とは?(発想編) | ミナトノキズナ〜司法書士 岡田事務所
前回のエントリーです
登記記録は「裁判で勝訴を勝ち取るための」大事な証拠だ!
この本の序説として「この本を書いた経緯」が書かれていました。著者は「法治国家」における財産権に関するルールとして
資本主義的経済活動が行われ、それは債権・ 債務の関係として法的に把握され、債権的関係のなかで物件の得喪変更として処理され、契約は倫理的に守るべきものであるが、それを履行せざるものに対し、当事者の暴力の行使を許さないこととし、当事者の暴力の行使に代えて、最終的に国家の「物理的暴力による強制」を背景とする裁判制度が置かれている(本書p4)
と定義します。
この前提とする制度の一環として「不動産登記制度」を位置付けることが大事だと言います。なので、正しい登記をすることが権利者(登記記録に書かれた名義人)を紛争から予防する大きな働きをなすのだとも言っています。
そのためには、不動産登記記録が「ひとたび紛争が発生して裁判になったときは、権利者にとって、登記は勝訴判決に結びつかなくてはならない(本書p4)」のです。
不動産登記の現状は「とにかく形式」
不動産登記を申請した場合、「形式的審査権」〜書類だけで判断する〜しかありません。これは、今でも同じです。これだと、
事実に過誤不正がある場合、現在の不動産登記の方法では、書面上の適格性の審査はあっても、事実の過誤不正を防止する手段や方法が全くなく、そのまま何のチェックもないままに登記される仕組みとなっている。(本書p7)
ので、事実と違う登記が「書類が揃っている」というだけでできてしまう現状があります。このことは以前のエントリーでも書かせていただいたと思います。
【司法書士業務】登記制度と真摯に向き合うことで、依頼者様に「安心・安全」を届ける | ミナトノキズナ〜司法書士 岡田事務所
登記申請行為に過誤不正があっても、登記間は申請書の内容たる事実について審査は一切しないで、そのまま登記して、登記簿の記載が不真正であるために、それを信じた国民が損害を受けても、国は責任を全く負わず、何の保証もしない(本書p8)
というのが、不動産登記制度の現実です。
「不動産登記制度」を通してより貢献できるように
不動産登記手続きについては、別に司法書士に代理して登記しなくてはいけないという決まりはありません。当事者でやってもらってもいいのです。
素人の申請人が書類を作成したのでは、ここが不備だ、あっちが間違っていると、登記所でしかられるので、忙しい仕事の中でそれに時間を割くよりも、書類作成の専門業者に書かせましょう、というのが、司法書士の登記申請だと従来の考え方はいう(本書p10)
ということですね。ですが、この考え方は
仕事の内容に自己の固有の判断を加えず、不正義に対して拒否権を放棄しているのであるから、これは法律家の仕事ではないと考える。したがって、司法書士の社会的地位が低いのも当然である。
と、厳しく指摘します。
「登記申請手続代理」は、あくまでも「依頼者の求めているものをそのまま反映すること」が重要なので、ある意味「司法書士が独断で判断することは危険だ」という認識がありましたが、考え方を改めないといけないと、強く感じました。
この本では、
不動産登記とは裁判実務と同一性を持った実務であると考え、その実務方法として聴取技術を学問的に研究し、またこれを行う司法書士とはどのようなものでなければならないかを考察し、新しい登記理論と聴取技術論と司法書士論をもって本書の三本の柱とした。(本書p6)
が学べるようです。次回からは、少しずつ理論編に入っていきたいと思います。
本日はここまでです。ありがとうございました。