「舞台」(西加奈子 著)読了。人というのは、常に「演じている」のか

好きな作家さんの一人、西加奈子さんの作品です。交流会の場で、その話になった時に「この本読んだ方がいいよ」と勧められたので、手に取りました。

読了直後のレビュー(ブクログレビュー)

読書日数 23日

とある作家の息子が、親の金を使ってアメリカに行くが、そこで起こったことから、自分とは、いかにどんな人間かを考えさせられるという物語

人というのは、自分のことしかわからない。ただ、他人の評価などあてになるものではない。

このいきて行く「舞台」で、何を演じるのか。それを自分で感じて評価して、それをどうするのかも、自分で考えていかなくてはいけない。

とんでもアメリカ紀行

主人公の葉太(ようた)は、売れっ子作家の息子で、かなりボンボンです。それだからか分かりませんが「なんとか目ただなく生きて行こう」と決めて、生活を送っていました。

目立つ奴を見ると、心の中で罵倒する。

そんな、ちょっと残念な性格です。でも、そうなったのもきっかけがあります。

葉太には、祖父の葬儀の時に、霊が見えるようになり、そのことを父親に話したところ、メチャどやされます。

それ以来、少し性格が歪んでしまい、目ただずに生きることを選び続けて、29歳になります。

父親が亡くなるのですが、父親の遺産を使ってアメリカに行きます。着いた乗っけから、周りの調子に乗ってる外国人を見て、心で罵倒。でも、外国に来た解放感からか、初日、セントラルパークで「調子に乗って」本を読んでいると、荷物を全部取られてしまいます。

初日から、いきなり無一文。

普通ならすぐに警察に届けたり、やるべきことをやるはずなんですが、ここでも捻くれた性格が顔をのぞかせます。

その、約1週間の無一文生活を通して「自分が生きていくということはどうあるべきか」ということを考えていくことになります。

何かを演じて、人は生きている

何かを演じる、演じ続けている俺たちには、もはや真実は、この感覚にしかない。

この体は、そして、この苦しみは、俺のものだ。

俺だけにしか分からない。

恥という舵に振り回されている、ちっぽけな船のような、俺の体。そして、その船に、永久に積まれたままの、俺の、ゴミのような苦しみ。取るに足らなくても、クソみたいでも、これは、俺の苦しみなのだ。

俺は俺の苦しみを、苦しむ。誰にも代わりは勤まらない、このクソみたいな、ゴミのような苦しみを、俺だけが、最期まで、真剣に、苦しんでやれるのだ。
本書178P)

ここが一番響きました。

人というのは「自分の意思で生きてる」とはいっても、何かどこかで妥協したりしているのではないでしょうか。それを妥協したとはせずに、振り切ったと「演じて」生活していったりしてるのではないでしょうか。

私は、少なくともそれを感じる時があるし、でも、そのことを受け入れて、今を楽しく生きて行こうと思っています。

ちょっと生き方に、不自由さを感じているようならば、この本を読んでもいいのではないでしょうか。

変わらず読むのは遅かったですが、再読してもいいかなとも思います。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

舞台
舞台

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西 加奈子
講談社
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この記事を書いた人

岡田 英司

神戸市にある湊川神社の西側で司法書士業務をおこなっております。

業務のこともそうですが、Apple製品、読書、習慣化その他雑多なことも書いていくことで「自分をさらけ出していって、少しでも親近感のある司法書士でありたい」と考えております。

お気軽に読んでいただければ嬉しいです。