好きな作家さんの一人、西加奈子さんの作品です。交流会の場で、その話になった時に「この本読んだ方がいいよ」と勧められたので、手に取りました。
読了直後のレビュー(ブクログレビュー)
とある作家の息子が、親の金を使ってアメリカに行くが、そこで起こったことから、自分とは、いかにどんな人間かを考えさせられるという物語
人というのは、自分のことしかわからない。ただ、他人の評価などあてになるものではない。
このいきて行く「舞台」で、何を演じるのか。それを自分で感じて評価して、それをどうするのかも、自分で考えていかなくてはいけない。
とんでもアメリカ紀行
主人公の葉太(ようた)は、売れっ子作家の息子で、かなりボンボンです。それだからか分かりませんが「なんとか目ただなく生きて行こう」と決めて、生活を送っていました。
目立つ奴を見ると、心の中で罵倒する。
そんな、ちょっと残念な性格です。でも、そうなったのもきっかけがあります。
葉太には、祖父の葬儀の時に、霊が見えるようになり、そのことを父親に話したところ、メチャどやされます。
それ以来、少し性格が歪んでしまい、目ただずに生きることを選び続けて、29歳になります。
父親が亡くなるのですが、父親の遺産を使ってアメリカに行きます。着いた乗っけから、周りの調子に乗ってる外国人を見て、心で罵倒。でも、外国に来た解放感からか、初日、セントラルパークで「調子に乗って」本を読んでいると、荷物を全部取られてしまいます。
初日から、いきなり無一文。
普通ならすぐに警察に届けたり、やるべきことをやるはずなんですが、ここでも捻くれた性格が顔をのぞかせます。
その、約1週間の無一文生活を通して「自分が生きていくということはどうあるべきか」ということを考えていくことになります。
何かを演じて、人は生きている
何かを演じる、演じ続けている俺たちには、もはや真実は、この感覚にしかない。
この体は、そして、この苦しみは、俺のものだ。
俺だけにしか分からない。
恥という舵に振り回されている、ちっぽけな船のような、俺の体。そして、その船に、永久に積まれたままの、俺の、ゴミのような苦しみ。取るに足らなくても、クソみたいでも、これは、俺の苦しみなのだ。
俺は俺の苦しみを、苦しむ。誰にも代わりは勤まらない、このクソみたいな、ゴミのような苦しみを、俺だけが、最期まで、真剣に、苦しんでやれるのだ。
(本書178P)
ここが一番響きました。
人というのは「自分の意思で生きてる」とはいっても、何かどこかで妥協したりしているのではないでしょうか。それを妥協したとはせずに、振り切ったと「演じて」生活していったりしてるのではないでしょうか。
私は、少なくともそれを感じる時があるし、でも、そのことを受け入れて、今を楽しく生きて行こうと思っています。
ちょっと生き方に、不自由さを感じているようならば、この本を読んでもいいのではないでしょうか。
変わらず読むのは遅かったですが、再読してもいいかなとも思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。