本日(2014年9月17日)は大きなイベントがありました。
関心がある人が増えてきた
先日のエントリーにも書きましたが、その取材に参加してまいりました。
定刻には行けなかったのが悔やまれますが、なんとか第1部の後半部分には間に合いました。第1部は「なぜ終活なのか」ということを踏まえてのNPO法人の目的などの説明でした。
「『自分のことは自分でやる時代』になったから」
「そのためにこのNPO法人がパイプ役になる」
そういう熱い思いというものが十分に伝わる基調講演だったと思います。
休憩時間でも、正会員(オレンジのポロシャツを着られている方)と参加者の皆様との語らいが交わされております。また、テレビ取材も入ってました。
参画企業のパンフレットもとられていっています。
第2部は「私が死ぬということは?」というちょっと重めのテーマでした。ですが、実を言うとこのテーマが楽しみでした。
本日お話された副住職が、この法人に参加された理由が、
「自分自身の「問い」というものに対する解決手段として」
「自分の人生を変えてくれた「仏教」の素晴らしさを伝えたい」
ということでした。
谷口理事長とのクロストークという形をとって進められていきます。
第2部のトークセッションの中で、私の心に響いた言葉を並べていきたいと思います。
- 家族葬や直葬が増えて「地縁(地域のつながり)」が切れてきた→なのに、権利主張だけしかしない人が多くなっている。
- 家族が離れ離れになっている。命に対する畏敬の念が薄れている。(法事に若者が少ない。お骨を「宅急便で送ってくれ」とといわれた経験がある)
- 宗教は身近にあるはずなのに、勉強しようという雰囲気にならない→「宗教心」は持ち合わせているが「宗教」というと、特定の団体を連想してしまう傾向にある。
- 毎年の年末年始には「クリスマス、大晦日、初詣」というように宗教的活動を行う習慣があるのに、宗教とに対する意識が定まっていない。
- 東日本大震災の時に、財産も家族も流されてしまった人たちのうち「手を合わせたい」「亡くなった人を弔って」という声が多かった→人は、物質的な豊かさよりも「心の豊かさ」を何処かで求めているものである。
- 人間は「死」というものを発見できた。だから「生」というものが分かる。生きていることが実感できる。
- でも、人間は目に見えるところから「死」を隠そうとする(4とか9、友引など)
- 命は保証されていない。だからこそ「今をしっかり生きる」という意識が必要
- 自分の死とを向き合った時に「自分が何ができるのか」ということ
- 「亡くなること」を見つめることで、今を充実させるために、準備をしっかりする。
まとめ
副住職のお話は本当にためになりました。
人というのは「死ぬ」ということに対して忌み嫌うのが一般的です。
ですが、私は怖くても「自分の死」というものに対して向き合っていきたいと普段から考えるようにしています。
こういった方々との交流が持てるというのは本当に素晴らしいとおもいます。
というわけで本日は「はんしん高齢者くらしの相談室」の設立記念イベント参加レポでした。ありがとうございました。