【つれづれ】人生の終着点について考える

なんか、仰々しいタイトルを付けてみましたが、私は結構こういうことを考える事が多いです。

昨今、健康ブームですよね。私の周りの先生方はマラソンをやっている方々がとても多く、「応援来てーよ」といったお誘いをよく受けます。(スケジュールが合わず行けてませんm(._.)m)

他にも、プールにいかれてる方や山登りをされている方など、たくさんおられます。

私は、運動することが今はありません。おかげでお腹がプックリしてきており、ズボンがきつくなってきております。

なぜ、人は健康でなければならないのか?

健康は気になりますが....
健康は気になりますが….
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私は、昔からこういう事に対して何かモヤモヤしていたものがあったのですが、この本と出会って心のモヤが少し晴れた気持ちになりました。

この本は 2008年に公開になった「おくりびと」の原作になっているもので、主人公である納棺夫(ちなみにこの言葉は著者の造語だそうです)の日常業務から、人間の死と仏教(浄土真宗)についての考察日記みたいな小説になっております。

人間の死を間近に見てきている主人公だからこその持論の展開に私は共感を受け、本嫌いであるにもかかわらず数回読み返している本でございます。

  • 昔から両親に「長生きしなアカン」と言われて育ってきましたが、本当にそうなのだろうか?
  • 誰かがお亡くなりになった時に「酒やタバコやってたから、早よ亡くなったんや」と言われることが侭あるけど、果たしてそうなんだろうか?
  • 昔は「人生50年」といわれていたのに、医学が進歩して平均寿命がドンドン延びている。果たしてどうなんだろうか?

この本を読み返す度に、こういう考えが頭をよぎるんです。そして「生にしがみつくだけの人生は送りたくない」と思うわけです。

私の好きな一節のひとつを御紹介します。

(以下引用)

「ありがとう みなさんに」(後に『飛鳥へ、まだ見ぬ子へ』と改題され祥伝社より出版)と題された井村一清という三十二歳の若さで亡くなった医師の遺稿集であった。
何気なく読み始めて、気が付いたら正座して読んでいた。
(中略)
「~レントゲン室を出るとき、私は決心していました。歩けるところまで歩いていこう。
その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、私は不思議な光景を見ていました。世の中がとっても明るいのです。スーパーへ来る買い物客が輝いて見える。走りまわる子供たちが輝いて見える。犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が、小石までが輝いて見えるのです。アパートへ戻ってみた妻もまた、手を合わせたいほどに尊く見えました
(中略)
「~ありがとう、みなさん
人のこころはいいものですね。それらが重なりあう波間に、私は幸福に漂い、眠りにつこうとしています。しあわせです。
ありがとう、みなさん
ほんとうに、ありがとう」
(文春文庫「納棺夫日記」P69~P71)

私はこの光を見て、それに感謝し、周りに感謝して最期を遂げたい。そのために今は精一杯生きるんだ。この思いで生きております。

本日は、これぐらいにしておきます。有難うございました。

この記事を書いた人

岡田 英司

神戸市にある湊川神社の西側で司法書士業務をおこなっております。

業務のこともそうですが、Apple製品、読書、習慣化その他雑多なことも書いていくことで「自分をさらけ出していって、少しでも親近感のある司法書士でありたい」と考えております。

お気軽に読んでいただければ嬉しいです。